吉本天然素材メンバーの現在と解散の真相|歴代一覧と脱退劇の全貌
1991年、お笑い界の常識を根底から覆す異色のユニットが誕生しました。それが、若手芸人たちを集めてダンスと笑いを融合させた「吉本天然素材」(通称・天素)です。後に日本のお笑い界の頂点へと駆け上がるナインティナインや雨上がり決死隊、FUJIWARAなどが名を連ね、後楽園ホールや日本武道館を満員にするなど社会現象を巻き起こしました。
しかし、その華やかな熱狂の裏側では、芸人としてのプライドとアイドル的人気の狭間で激しい葛藤が渦巻き、主要メンバーの離脱や確執、そして最終的な解散へと向かうドラマが存在していました。結成から長い年月が経過した今、当時の貴重な証言や記録をもとに、歴代メンバー一覧と脱退劇の舞台裏、そして各メンバーの現在に至る歩みを総力取材で振り返ります。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:吉本天然素材は1991年に結成された若手芸人6組による伝説のユニットで、ダンスを取り入れた画期的な演出で社会現象化。
- 要点2:アイドル的人気とネタへのこだわりのギャップから軋轢が生じ、ナイナイや雨上がり決死隊の脱退を経て1999年に解散。
- 要点3:コンビ解散やピンでの活動など道は分かれたものの、培われたハングリー精神は現在のエンタメ界に色濃く受け継がれている。
【歴代メンバー一覧】吉本天然素材を結成した豪華6組の軌跡
吉本天然素材は、大阪の心斎橋筋2丁目劇場などで頭角を現していた若手芸人たちを中心に、東京進出の起死回生策として吉本興業が企画したプロジェクトでした。選抜されたのは、キャリアも芸風も異なる精鋭6組12名です。
当時の吉本興業は、吉本新喜劇の全国展開と並行して、若年層の女性ファンを獲得するための新しいアプローチを模索していました。そこで白羽の矢が立ったのが、ルックスや身体能力、強烈な個性を持った若手芸人たちでした。まずは、その歴史を創り上げた主要メンバーの概要を整理します。
| コンビ名 | メンバー | 当時のポジション・役割 | 2026年現在の活動状況 |
|---|---|---|---|
| 雨上がり決死隊 | 宮迫博之 蛍原徹 | ユニットのリーダー格・最年長組 | 2021年解散。蛍原はMCとして第一線で活躍、宮迫はネット・舞台等を中心に展開 |
| ナインティナイン | 岡村隆史 矢部浩之 | 最年少・エース級の爆発的人気 | 冠番組多数を抱える国民的お笑いコンビとしてトップに君臨 |
| FUJIWARA | 藤本敏史 原西孝幸 | ムードメーカー・ダンスの牽引役 | バラエティのひな壇やギャグ、YouTubeなど多方面で確固たる地位を維持 |
| バッファロー吾郎 | 木村明浩(現・バッファロー吾郎A) 竹若元博 | コント職人・シュールな笑いの軸 | キングオブコント初代王者。個々の舞台出演やプロデュース業を中心に活動 |
| チュパチャップス | 星田英利(旧・ほっしゃん。) 宮川大輔 | 若手の元気印・身体を張った芸 | 1999年解散。宮川はお祭り男等で大ブレイク、星田は実力派俳優・タレントとして活動 |
| へびいちご | 島川学 高橋智 | 正統派漫才・いじられ役 | 関西の劇場を中心に、地域密着型の漫才師・リポーターとして安定した支持を獲得 |
このほか、初期から中期にかけてシャンプーハットやピン芸人などがサポートやオーディション枠で関わる時期もありましたが、黄金期を支え世間に「天素」の名を刻み込んだのは間違いなくこの6組でした。

なぜ芸人が踊ったのか?天素ブームを彩ったダンス曲と過酷な現場
吉本天然素材の最大の特徴は、オープニングやエンディングで本格的なダンスパフォーマンスを披露する点にありました。仕掛けたのは、後にモーニング娘。やAKB48を育て上げることになる稀代の振付師・夏まゆみ氏です。
当時、芸人たちに課されたレッスンは過酷を極めました。深夜に及ぶステップの反復練習、妥協を許さないフォーメーションの叩き込みなど、夏氏の熱血指導のもと、芸人たちは身体中をアザだらけにしながら踊り続けました。当時使用された代表的なダンス曲には、以下のようなナンバーがあります。
- 『NO. NEW YORK』(BOØWY):天素を象徴する疾走感あふれる代表的オープニングナンバー。
- 『CHA-CHA-CHA』:息の合ったフォーメーションダンスで観客を魅了したキラーチューン。
- 『サウスポー』や洋楽ポップス:コミカルさとキレのある動きを融合させた演目。
テレビ番組『吉本気分』(日本テレビ系)の放送開始とともに人気は一気に沸騰。劇場前には徹夜の出待ちファンが列をなし、グッズは飛ぶように売れ、日本武道館での単独公演を大成功させるに至りました。しかし、この熱狂こそがメンバーたちの心を徐々に蝕んでいくことになります。
【実態検証】人気絶頂の裏で起きていた「笑いと歓声の葛藤」
観客席から飛ぶのは「面白い!」という笑い声ではなく、「キャー!」という黄色い歓声。ネタを披露しても顔や仕草だけでウケてしまい、純粋なお笑いとして評価されていないのではないかという強い危機感が、メンバー内に蔓延し始めました。
後に岡村隆史や宮迫博之がテレビ番組の特番やインタビューで明かしたところによると、「ネタ合わせをする時間がダンスの練習で消えていく」「自分たちは芸人なのかバックダンサーなのか分からなくなった」という激しい自己否定感に襲われていたといいます。
また、過酷なスケジュールと極度の睡眠不足は、メンバー間の人間関係にも影を落としました。楽屋ではピリピリとした空気が漂い、些細なミスで怒号が飛び交うなど、心身ともに限界を迎える者が続出していました。ステージ上の笑顔とは裏腹に、楽屋の空気は冷え切っていたのです。

雨上がりとナイナイの脱退理由|決定的な亀裂の真相
ユニットの勢いがピークに達していた1990年代半ば、最初に離脱の動きを見せたのがナインティナインと雨上がり決死隊でした。
ナインティナインは、フジテレビ系の深夜番組『とぶくすり』へのレギュラー出演をきっかけに、東京のバラエティ制作陣から高い評価を受け、単独での仕事が急増していました。岡村は自著やラジオで「自分たちはお笑いで勝負したい。ダンスでキャーキャー言われる現場からは一刻も早く抜け出したかった」と当時の心境を語っています。結果としてナイナイはユニットの活動から徐々に距離を置き、事実上の脱退へと踏み切りました。
一方、最年長としてユニットを牽引していた雨上がり決死隊もまた、後輩であるナイナイが先に全国区のスターへと駆け上がっていく姿を目の当たりにし、激しい焦燥感と屈辱を味わっていました。宮迫は「天素のリーダー格として縛られ、身動きが取れなくなっていた」と吐露しており、コンビとしての活路を開くために天素からの卒業・脱退を決断することになります。
屋台骨であった2組が抜けたことで、ユニット内のバランスは完全に崩壊し、残されたメンバーとの間にも埋めがたい意識の溝が生じてしまいました。
一般に知られていない盲点とネットの誤解
ネット上の言説では「メンバー同士が憎しみ合って絶縁した」「大喧嘩の末に空中分解した」といったセンセーショナルな噂が独り歩きしがちですが、実態はより複雑な構造的要因によるものです。
第1に、個人のキャリアビジョンと事務所のプロデュース方針の不一致です。吉本興業側は「アイドル的人気を利用して全国的な知名度を一気に引き上げる」というビジネスモデルを成功させましたが、芸人側にとっては「お笑いの腕を磨く時間を奪われる」というトレードオフが生じていました。
第2に、世代交代とユニットとしての役割終了です。1990年代後半になると、各コンビがそれぞれ独自のレギュラー番組や舞台の居場所を確立し始めました。「集団でパッケージ化して売り出す」という初期の目的はすでに達成されており、1999年の正式解散は、必然的な発展的解消であったというのが客観的な事実です。
【プロの結論】アイドル芸人化の功罪と組織マネジメントの教訓
吉本天然素材が芸能界に残した足跡は、単なる懐古趣味にとどまりません。エンターテインメント業界における「タレントのブランディングと本人の本質的スキルの乖離」という普遍的なテーマを浮き彫りにしています。
急激なブームは瞬間的な莫大な利益をもたらす反面、演者のアイデンティティをすり減らし、組織内のパワーバランスを急速に歪めます。しかし、過酷なダンスレッスンで培われた「舞台度胸」「身体表現力」「団体芸の呼吸」は、後に各メンバーがバラエティ番組の過酷なひな壇で生き残るための強固な武器となりました。天素という過酷な試練をくぐり抜けたからこそ、彼らは平成・令和のテレビ界を支える屈強なタレントへと成長できたのです。

【2026年最新】吉本天然素材メンバーの現在地
解散から四半世紀以上が経過した2026年現在、かつての盟友たちはそれぞれ異なるステージで自らの芸道を歩み続けています。
- ナインティナイン(岡村隆史・矢部浩之):『ぐるぐるナインティナイン』など長寿番組のMCを務め、日本のお笑い界を代表する大御所コンビとして揺るぎない地位を確立。
- 蛍原徹(元・雨上がり決死隊):2021年のコンビ解散後も、持ち前の安定感と人柄の良さで数々の番組MCやYouTubeで確固たる支持を維持。
- 宮迫博之(元・雨上がり決死隊):地上波を離れた後、YouTubeや飲食事業、舞台公演など独自の発信を継続。
- FUJIWARA(藤本敏史・原西孝幸):バラエティの第一線で活躍を続け、YouTube「FUJIWARA超合体」などでも息の合った掛け合いを披露。
- 宮川大輔:『世界の果てまでイッテQ!』をはじめとする国民的番組の看板タレントとして絶大な人気を誇る。
- 星田英利:コンビ解散後はピン芸人としてR-1ぐらんぷり初代王者に輝き、その後は映画やドラマで欠かせない名バイプレイヤーとして評価を確立。
- バッファロー吾郎(木村明浩・竹若元博):2008年キングオブコント王者。竹若は舞台演劇や即興イベントで重宝され、木村も独自のポジションで活動。
- へびいちご(島川学・高橋智):なんばグランド花月などの劇場を中心に、上方漫才の伝統を支えるベテラン漫才師として精力的に舞台に立ち続ける。
【吉本天然素材 メンバー】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:吉本天然素材のリーダーは誰だったのですか?
A1:明確な固定リーダー制ではありませんでしたが、年齢や芸歴の観点から雨上がり決死隊(特に宮迫博之や蛍原徹)がユニット全体のまとめ役・リーダー格として現場を引っ張っていました。
Q2:過酷なダンス指導を行った振付師は誰ですか?
A2:モーニング娘。やAKB48の育ての親としても知られる故・夏まゆみ氏です。妥協を許さないプロ意識で芸人たちを鍛え上げ、天素のキレのあるダンスパフォーマンスを完成させました。
Q3:解散後にメンバーが再集結したことはありますか?
A3:テレビ番組の企画(『アメトーーク!』の「吉本天然素材芸人」特集など)で度々集結しています。当時の恨み節や過酷な思い出を笑いに昇華させ、同窓会的な盛り上がりを見せて大きな反響を呼びました。
まとめ:天素が遺したエンタメのDNAと現在への継承
吉本天然素材は、1990年代初頭のメディア環境が生み出した規格外のムーブメントでした。「踊るお笑い芸人」という新たなジャンルを開拓し、熱狂的なファンを生み出した一方で、メンバーたちは芸人としてのアイデンティティに激しく悩み、ぶつかり合いました。
その苦悩と脱退劇、そして解散の歴史は、彼らが単なるアイドルではなく「本物の芸人」であったことの証明でもあります。2026年を迎えた今もなお、テレビや舞台の最前線で放たれる彼らのエネルギーの根底には、あの泥臭く踊り狂った「天素時代」の経験が力強く息づいています。 (出典: 吉本天然素材 メンバー(Yahoo!ニュース))